私はしばらく、喧騒というものを脳内のどこか片隅に忘却していたように思う。
私が住んでいる場所は、ほとんど住宅しかない、ファミリー層が多い地域だ。ショッピングモールもあるが、そこで飲み食いしているのはやはり周辺地域に住むファミリーが多い。わずかに喧騒に似たものがあるとしたらそれは、小さな子どもが上げる金切り声と、それを般若の顔で怒鳴りつける母親の声くらいだ。
新橋という街にある喧騒は、そんな所帯じみたものではない。
アルコール度数0.0000002%くらいの酒を出してきそうな居酒屋のキャッチが「飲み放題1000円!」と叫び、その横ではガールズバーのパネルを持ったお姉さんがやる気のない無表情で突っ立っている。
決して歩行者天国などではない路地にテーブルと椅子が並び、タクシーはその道を、極めて迷惑そうな表情の運転手に転がされながらゆっくりと通り抜けていく。
このご時世なのに「店内タバコ吸え〼」と堂々と書かれた紙切れが、たくさんの店の店頭に貼られている。
仕事帰りのサラリーマンたちのテーブルのすぐ後ろには、刺青だらけのお兄さんたちが座って酒を飲んでいる。出会うことがないカテゴリーの人間たちが隣同士に座っていることに何も違和感を抱えることなく、それぞれが笑い声をあげていた。
狭い路地を作り上げる、ブロックをただ積み上げて作ったような雑居ビル群。一つのビルが壊れてしまったら、雪崩のように全てが崩れていきそうなくらいに互いに肩寄せ合った共依存の不安定さがある。
「混沌」という言葉が極めてポジティブに存在しているように見えて、私はこの雰囲気が嫌いではないと思った。
UOKIN PICCOLO、抗いの餌食に
で、長々と書いたわけだが、結局混沌とした雰囲気を作り上げている店とはちょっと違う、洒落たイタリアンに入ったわけ。
これは私の経験則なので、全ての女性に当てはまることではないが、女性は25歳以降から洒落た店(イタリアンやスペインバルなど)を好むようになる。スパークリングワインなどを嗜んでみたりもする。なぜならば、「私は大人の女性なので」という呪いに無駄にかかっているからだ。
これは、隠れて氷結を飲んでいた高校生が大学生になり、「とりあえずビールで」を始める様によく似ている。
この傾向が40前後になると、もはや一周回ってココスやサイゼリヤで平然と酒を飲むようになるのだが、アラフォーであってもまた、まずは洒落たイタリアンなどに入店しようとする。これは30手前の「私は大人なので」呪縛とは違い、「とりあえず一軒目は洒落たとこ行こ!?(迫真)まだ女子なんで」という、若い女性が好みそうな洒落たものに縋り付く、抗いの呪縛からである。
今回、その抗いの餌食になったのがUOKIN PICCOLOだ。あの美味しいお魚屋さん、魚金のイタリアン。
お通し洒落すぎ〜〜〜
乾杯のビールを一瞬で飲み干して、2杯目はレモンサワー。この「神山町レモンサワー」、さっぱりしていて美味しいのだが、「神山町」を冠している理由はさっぱりわからないまま何杯も飲んだ。その後、Googleで「神山町レモンサワー 何」と調べたところ、検索結果には魚金しか出てこなかった。
そこで今度は「神山町」だけで検索をかけてみたところ、徳島県にある自治体だということが判明。もしかしたら、ここで作っているレモンを使用しているのか? そう思って「神山町 レモン」で検索をかける。
するとまたも検索結果には魚金ばかりが並んだ。何やら煙に巻かれた気分だった。おそらくウオキングループオリジナルのレモンサワーなのだろうということだけがわかった。
ある単語を調べようと辞書を引いて、その意味を示してくれる文言の中にある単語の意味をまたも辞書で引いて最初の単語に戻ってしまう、みたいなあのループに似たものを感じた。
で、お通しがすごく美味しかったし洒落すぎてたんですよ〜〜〜。
フォカッチャってやつだよね、これ。この横についているオリーブオイルを付けて食べるのだが、しらすとニンニクがふんだんに入っていて、これだけでレモンサワーが100杯くらい飲める味だ。
お酒を飲みながらちびちび食べたかったのだけれど、あまりに美味しくて一瞬で胃の中に入ってしまった。
馬鹿の一つ覚え、生ハム
物事を深く考えない馬鹿がイタリアンに入店した時にまず注文するものはそう、生ハム。
とりあえず生ハムを注文しておけば間違いない。馬鹿な私はもちろん生ハムを盛り合わせ(880円)で注文しておいた。とりあえず“盛り合わせる”のも馬鹿の特徴と言って差し支えないだろう。
ちなみに、私は日本料理屋では刺身の盛り合わせを注文するし、韓国料理屋ではキムチの盛り合わせを注文する。中華料理屋では餃子を注文する。ただの居酒屋かカラオケではフライドポテトだ。底が浅い人間だと思われたくない人は、「とりあえず」でこれらを避ければ良い。
もちろん、生ハム、サラミ、そしてなんだか粒子が粗めな謎のハム、全てが想定通りの味で失敗なし。美味しかった。
ウオキングループに来たら魚を食べよう
ウオキン系のお店に来たらやっぱお魚は食べなくっちゃあ。
ということで、名物の「海の幸のカルパッチョ」(1580円)を注文。この日は天タイ、サワラ、チビキというラインナップ。
おそらく、手前のちょっと赤みがかっているものがチビキ、奥右側がサワラ、奥左側が天タイ。タイとチビキがさっぱりしていて、サワラが少し脂が乗った濃い味だった。
上に乗った薬味がそれぞれの魚に合わせて変えられていて、食感の変化も面白かった。
カルパッチョは、店によっては「え……? 少な……ホビット向けの料理かよ」みたいな量の場合もある。しかし、ここではボリュームもしっかり。2人ならば十分過ぎるくらいの量で嬉しかった〜〜。生の魚はもう食べられるだけ食べたいもんね。
一応野菜も摂取しないと
「季節野菜のオーブン焼き」(880円)もまた美味しかった。バルサミコ酢のソースがかかっていて、酸味が甘い野菜によく合っていた。
カルパッチョ同様、季節によって野菜の種類が変化するのだろうから何度来ても違うメニューを楽しめるのだろう。
ちなみに、茶色い謎の野菜を私と友人は「何これ?」「キクラゲ?」などと言いながらも、一切その謎を解決する気もなく口に運んでいた。これが焼かれた紫キャベツだと知ったのは半分以上食べ進め、もはや紫キャベツがなくなってからであった。
リゾットやパスタも食べたかったが、40前後のおばさんは食ったら食っただけ太る。そして、この後にさらにハシゴして酒を飲むつもりでいたため、とりあえずここではこの3品のみ。
それにしても、コスパも良く美味しいお店だった。また行きたい。いや、行く。
抗いの精神が満たされた私たちは、また喧騒の中に入り込んでこのあと、実に2軒もハシゴして酒を飲み続けた。次の日の朝、もちろんしっかり肥えていた。