多くの人に当てはまることではないかもしれないが、駅弁ってそうそう買わなくないか?
旅行ならば、その旅行先での昼食や夕食に合わせて家を出るし、帰省ならば駅まで迎えに来てくれた親とそのまま駅で外食することが多い。駅弁を食べるタイミングがないのだ。
しかし今回、仙台から東京に向けての新幹線がちょうど昼前後だったこともあり、珍しく駅弁を買ってみた。しかも仙台駅の駅弁なんて、地元すぎて購入するのは初かもしれない。
各所で美味い美味いと話題のあの弁当を、満を持して食したよ〜。
にわかに話題の駅弁との対面…
弁当に1,600円も使っちゃった〜とウキウキで、仙台駅を出発直後、食い気味に箱を開けた私。
悲しいかな、これを見てほしい。
ときに百貨店などでも並べられ、崇め奉られる勢いの「駅弁」というジャンルでも、所詮は弁当なのだと思わざるを得ない、この透明で無機質なラッピング。
これが本当に多くの人を魅了してやまない、あの「伯養軒の炙りえんがわずし」なのか……?
しかもこの時の私は、地獄の餓鬼の如く腹を空かしていたのですよ。「こんなういろうみたいなサイズの駅弁で満足できる〜?」なんて舐め腐っていたのだ。
しかし——
無骨かつ繊細…!逆にフォトジェニック
あれ? ベールを脱いだら途端に雰囲気良い。笹とかまとって。一気に良いものを食べようとしている感が高まる。
どうやら、醤油だけではなく塩で食べるスタイルもあるようだ。
しかしながら、こういったお寿司タイプの駅弁はさしちょこのようなお醤油を乗っけておけるものは付属していないのが普通なのかな? ちゃちいものでも良いからあると助かるのだけれど。
ふと、笹かまぼこだの、仙台七夕だの(笹の葉さ〜らさら〜♪の歌詞から連想)、なぜ宮城県には笹にまつわるものが多いのだろうと調べたところ、2匹の雀を竹でぐるっと囲む伊達の家紋のことを「仙台笹」と呼ぶらしいね。笹かまぼこは完全にその家紋が由来となって誕生したようだ。
仙台七夕に関しては仙台笹と関係があるかは不明だけれど、伊達政宗が日頃の女性たちの労働を労って、楽しんでもらおうと盛大にお祭りにしたのが始まりらしいぞ。昔の男のくせに優しすぎない?
ま、このえんがわ寿司の笹は、鱒の押し寿司を包む笹と同じ用途だろうから、きっと仙台笹とは一切関係がないのだろうけど。
とりあえず、笹をはらはらとめくってみると……
え!? 嘘!!!! 想像よりかなりいい!!!! 良い!!!!
潔いえんがわの一本寿司は、パッカリ割れるオムライスやチーズが溢れるシカゴピザよりも、よっぽどフォトジェニックだ。まさに駅弁界の漢。
炙られたえんがわのしっとりとした雰囲気と光沢に、脂の上質さを感じるね〜。笹の上の乗っていたライムを、私は炙りえんがわの表面に撫でつけたよ。
美味すぎる駅弁の功罪
口に入れるとえんがわの脂が染み出してくる。正直、今までに食べた押し寿司の中で一番美味い。地元民だからとかそういう贔屓や忖度なしに美味い。
こういう脂が多いお魚の場合、いかに酢飯が合うのかを実感させられる。
炙りの風味が香ばしいので、醤油も塩もつけずに食べても美味しい。
個人的には塩よりも醤油のほうが美味しかったかな。塩も美味しいのだけれど、つける量が少し難しい。本当にちょっとだけつけて食べるのがおすすめ。
仙台駅で駅弁を買おう! と思い立ったとき、だいたいの人が牛タン弁当(紐を引っ張ると弁当が温かくなるやつ)を選ぶと思うのだが、正直、そっちよりもこの炙りえんがわずしを買ってほしい。いわゆる“弁当”のクオリティじゃないって。
縦長な分、普通の駅弁よりもこぢんまりしているように見えるけれど、普通の胃袋を持つ人間なら十分。私はおそらく普通よりも少し多く食べるほうなので、この炙りえんがわずしの他に駅のNewDaysで買った唐揚げおにぎりとトルティーヤみたいなものを食べました。
でもやっぱり人間、贅沢しちゃうとダメ。普段はNewDaysのおにぎりやサンドイッチも「うめー」なんて言いながら食べているのに、この炙りえんがわずしを食べた後だと何を食べても、
「つまらぬものを食ってしまった」
みたいな感覚になってしまって。
なお、次の日には何を食べても「うめー」と呟く幸せのハードルが低い人間に戻っていたのであった。